20081125

ランドオフィス



ボクの会社がなぜランドオフィスというのかというと、
リサーチアンドディレクションの略だった。

先週、ボクが会社を始めた頃、一緒に仕事をしていた仲間
「高橋究」通称、キューちゃんと8年ぶりに再会した。

ギターの競演をしてくれた。(詳細はいつか・・・)

なんだか、彼はずいぶんオトナになっていた。

その頃は、アシスタントディレクターから
ディレクターになりかけの頃で、彼もずいぶん苦労していた。
いまは三人の子持ちで幸せに暮らしている。

再会してすぐに8年前の記憶が走馬灯のようにクルクルした。
あのころは楽しかったし。

でも、いまもこうして会社を続けているとは想像もしなかった。

いまはあの頃より、とても大変で苦しいのが実態だ。

でも、楽しいからやめられない。
TVの番組を作るのは難しいからかもしれない。

まだまだ、半人前です。

20081120

ションベンつらら


Photo by AkiraBaba

こんな風に寒くなってくると北海道時代を思い出す。

ボクが小学生の低学年の頃住んでいた、名寄市では
−25度で一時間、−30度で二時間、
−35度を超えると学校が休みになる仕組みだった。

寒いのなんのったらありゃしない。

歩く音は「ギシギシ」いうし、
鼻水はほっぺたで凍り付き、
つぶった目は開かなくなる。
鼻で吸った息は、そのまま凍り付いて鼻毛が白くなる。
学校へ通うにはみなスケートやスキーを履く。

しゃべった言葉までが、凍り付いて途中で
地面に落ちてしまい相手に届かない。

天につばをすると氷が落ちてきて
立ちションベンは途中でつららになる。
だから町中に地面からたくさんのつららがはえている。

これから半年間、
春が来るのが恋しい季節になってくる。

20081119

三角UFO


この動画はボクが作ったフィクションですよ

しつこい様ですが
これがボクの見たUFO。

まさにこれくらいの時間見ていました。
音もせず・・・

ふーという感じで飛んで行き
「パッ」と消えました

大きさは、本当に大きかった

もうこれくらいにしておこうっと。

20081118

三角UFO


ボクが見たUFO

だって、本当なんだものしようがない。
ボクは川崎で仕事の合間に見た。

こいつが空の後ろの方から飛んできて、
目の前で「パッ」と消えた。
10秒くらいの間だった。

それからおよそまた10秒くらいして
2機の飛行機(セスナ)が前から飛んできた。
なんだか、そのセスナが来るから消えたような感じがする。

丸いところは、電気がショートした時に出る火花の色で
やたらに白い球だった。

三角形の中は透けていて空が見えた。

ボクは何故か警察署に電話した。

リアクションはなかった。

いまこそ大声で叫びたい!

「王様の耳はロバの耳」

20081114

釈迦とUFO


浅草 photo by AkiraBaba

いまUFO番組の企画を書いている
しかもNHKに提出しようと考えている

ボクにはとんでもなく大きな未確認飛行物体を
至近距離で見た経験がある

三角形だった

このハナシをするとなんとなく「引いて」いかれるのが分かる
「へぇ・・・すごいの見たね・・・ところで・・・」って

でも本当なんだ

本当に見たんだからだからしようがない

人生を掛け人々に訴えかけて
やりたい番組なんだけど

なんだかまだ、世間でUFOを見た
なんて言うと、
犯罪者扱いというか、アホを見る目をされて
なんだなぁ・・・これが

ここは少しオトナになって
目撃証言をいきなりするのではなく
「UFO」ってなんだろうねぁ・・・くらいから
民衆を導いていかなければならないのか

まるで説法をする釈迦の気持ちだ・・・

あっ!もしかすると

20081111

サムトの婆


自閉症の天才書道家 たっちゃんの作品 「風」 

こんな日はサムトの婆が帰ってくる。
神隠しにあった女性が長い年月が経った後、
寒いある日に家に帰ってくる・・・
「こんな日はサムトの婆が帰ってきそうだな」と使う。
でも家に帰ってきたその女性は、再び山へ戻っていく。

きっと帰らなくちゃならない深い事情があるんだろう。

もう世間では生活ができないのだろうか。

ボクはこれから打ち合わせに出かける。
まるでサムトの婆が帰ってきそうな、すごい寒さだ。
しかし、現在唯一のレギュラー番組の仕事。

ボクにもいかなきゃならない深い事情がそこにある。

20081110

タジタジ争論


多民族国家

黒人初の大統領誕生までの壁は、以外とすんなり飛び越えた
ような感じがするのは何故でしょう。
また、私たち日本人はこのような形で、在日やその二世を
すんなり受け入れるでしょうか?

多民族国家だからこそ成せたことなのでしょうか。

ペルーがフジモリを大統領に据えた時のことを思いかえして
みましょう。やはり現在のアメリカ同様、
経済が混迷を極めていた時代だったのではないでしょうか。


・・・私が考えるに、この際日本は、
クリントンを民主党から出馬させ、総理大臣にしては
どうかと・・・。
日本も多民族国家を少しだけ見習ってはいかがなものか。


今夜のタジタジ争論でした。

20081108

完成!


ついに完成!

かねてからやろうと考えていた、
写真編集が昨日終わった。面白い!
気になる方は、問い合わせください。

内容は、モツたちが・・・
いやいや、

20081104

小室哲哉


薬屋のまわしもの photo by Akira-Baba

小室がボクと同じ年齢だったとは知らなかった。

羽振りの良かった時代もあったのにね。
まぁ、仕方がない。

ボクにも羽振りが良かった時代があるけど、
桁が違うからね。

せいぜい電話料金を期間ぎりぎりで支払うくらいで、
捕まったリはしない。

どちらかと言えば、
小室等だよね、ボクらの時代は。
「六文銭」なんてね、あったりして。
乾いた空を見上げちゃったりしてね。
旅立っちゃったり・・・。

まぁ、小室哲哉が「自殺」しないよう
ココロして見張ってほしいね。

20081103

ランドオフィス


ビール売りの少女 by Akira-Baba

明日から西武球場で日本シリーズだ!

ボクの予想は西部の優勝なんだけど
4勝(西武)−2敗と見ている。

今年の西部は本当に強い。

ボクの会社ランドオフィスも、いつか球団を持ちたいと
考えている。

いや
ペタンクの

20081101

お気に入り劇場

右下のお気に入り劇場に
中西保志が素人時代に
スティービワンダーの物まねをしたVTRを仕込みました。

そっくりですから聞いてみて下さい
1986年頃のものです

愛のスカイライン


ボクとスカイライン photo by H・Nakayama

ボクは18歳のとき運転免許を取得した。

その頃どうしても欲しい車があった。
当時はやっていたのは
いすゞ117クーペやマツダのコスモ
セリカのリフトバックやフェアレディZだった。

ボクが買ったのはスカイラインの46年車。
この写真にある車。
別名「愛のスカイライン」だ。
その後スカイラインは
「ケンとメリーのスカイライン」
「スカイラインジャパン」と名をかえた。

「♫いつだって、どこにだって、
    果てしない空風は歌っていくさ」名曲だ!

先日見かけたとき思わず興奮して駆け寄ったところを
中山カメラマンが撮影してくれた。

それにしても、昔の乗用車は良かった。
個性があったもんね。

この車と同じ車を、
昭和46年に購入(多分当時は145万円くらい)して
現在まで走らずに倉庫にしまっておいたら
1000万円はするだろうなきっと。もっとするかもしれない。

人間も年を重ねると価値が出る。
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