戦時中、両親や家族を失った子供たちを
収容する保護施設が全国にあった
そのうちのひとつの施設に立ち寄ったことがある
戦時中から現在まで、福祉施設として運営をしているのは
北海道のとある小さな町の、寺の住職。
ボクは写真に写っている子供たちのうち
3人の消息を一生懸命捜して会うことができた。
ひとりは魚貝の卸業を営み、
ひとりは家具工場で働き定年を迎え、
またひとりは地元でスナックを経営していた。
栄養失調で亡くなった弟の死体を施設の裏山に埋めたこと
町、商店、学校での過酷な差別
仲間と二人で施設を飛び出し「おかあさん」と
大声を張り上げ、泣きながら山道をさまよったこと・・・
ひとり一人の人生を、
ボクなりに解釈をしようとお話をうかがった。
しかし、ボクの目から溢れ出る涙が邪魔をして、
とても受け止めることはできなかった
スナックを経営している女性が話してくれた
「私はこの町が好きなの。
だから町を見渡せるところに自分の墓を用意した」と
なんだか少し救われる気持ちになった
今日のような寒い朝を迎える季節になると
あの時のハナシをふと思い出す
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